相続のトラブルは意外なところから発生することがある。 今回のコラムはそんなトラブル事例を弁護士の五十嵐丈博先生に話を伺いながら紹介していきたい。 第1回目は「相続財産は土地だけで相続税が払えない」だ。 先祖からの土地が都心の山の手エリアにあるのだが、現金がないという場合をみていきたい。
東京都心の山の手エリアにはまだまだ古くから残っている住宅がある地域が多くある。また昔は田舎だった郊外も駅前開発などで価値が上がっているケースも多い。今回はそんなエリアで、店舗営業している一家の相続を紹介しよう。
相談者は東京の都心でお店を経営されているAさん。先祖代々受け継いだ土地があり、建物も所有している。1階で店舗営業、2階はAさん自宅、3階に両親が住んでいた。名義は父親である。1階の店舗はAさんと父親の二人で切り盛りしており、何の不都合もなく生活していた。
そんな折父親が亡くなった。その後もこのままAさんはお店を続け、母親とともに暮らすつもりでいたのだが、ここで問題が発生した。
10年以上何の音沙汰も無かった弟が突然、土地建物を売却してマンションを建てると言って、デベロッパーと訪ねてきたのである。
Aさんは長男で、父親の家業を継ぎ、ずっと親のため店のために働いてきたので、父親の死後は土地と建物とも自分の物になると思っていた。家のことはお構いなしでさっさと家を出た弟にも権利があるとは夢にも思わなかったのである。
弟は葬儀に顔を出さなかったばかりか、線香の1本もあげていない。それなのに親の死を知ってデベロッパーと訪れるような弟は兄弟でもなんでもないと感じた。
Aさんは、早くから家を継ぐために中学しか出ておらず、この店を切り盛りしていくことしか知らない。今からほかに新しいことを始めるにはハードルは高すぎる年齢。ましてやオーナーとして長く働いてきたのに誰かの下について一からやり直すなんてとても無理な話である。できることならこのまま店を続けていきたいと思うのも当然である。
この場合、弟から店のある土地・建物を守ることができるのであろうか?
残念ながら、どんな弟でも父親の子であることに変わりはない。弟は法定相続人にあたり、法定相続人には財産を受け取る権利がある。
今回のケースでは弟は財産の権利を主張しているので1/4相続できる権利がある。これに対抗するためには「遺言」が必要であったが、残念ながら父親は遺言を残していなかった。父親自身もこんなに早く亡くなると思っていなかったのであろう。なので、弟も土地建物の権利を取得することになる。
遺言がないので、弟の当然の権利があることは分かった。でも店を続けていきたい・・・ なんとかならないものか?
弟が土地を売りたいとはいえ、弟の一存で土地は売却できない。土地建物を売却するには、相続人、つまりAさんと母と弟の全員の同意が必要なのだ。つまり、Aさんの同意がないと売却はできないのである。
この手を使い「同意するものか!」と抵抗し続けた。しかし・・・別の問題が発生した。
故人の財産は評価額によって相続税の課税対象になる。Aさんの土地は東京都心立地でそれだけでも相当な相続税額になった。しかしほかに金融資産はなく、土地はあるが現金がないため相続税が支払えないのだ。
Aさんはもちろんお店を続けていきたいので土地を手放すわけにはいかない。そこでまずは相続税を減らせないか検討した。今回の場合、最大80%減額される「小規模宅地等の特例」が適用できる。(図1)
さらに「配偶者の税額の軽減」制度があり、相続税は減税される。(図2)
また、分割して納税できる場合もある。相続税の納税は一括が基本だ。しかし土地しかない等の場合は分割で納めることができる。要件を満たせば最長で20年の分割が可能だ。20年の分割をみとめてもらうには「相続財産の75%以上が不動産」や「延滞利息を払うこと」などの条件が必要になってくる。(図3)(図4)
最終的にAさんは弟の提案に同意し、土地を売却することにした。
Aさんの抵抗でデベロッパーが土地建物を高めに買ってくれることになったのも理由のひとつだが、そもそも"現金がなかった"ことが最大の理由だ。相続税が払えそうになかったので、専門家の意見を聞き、前述した制度の利用を考えたのだ。仮に「相続税」は払えたとしても、財産の分割は別問題。土地建物を弟と共有したくなければ、弟の持ち分に対して「代償分割」(※)に納得してもらうしかない。
今回の場合、Aさんは、少なくとも土地建物評価額の1/4相当の現金を弟に渡す必要があるだろう。しかし、その現金がAさん自身にないため、売らざる得なくなったのだ。
いざというときのための現金を用意しておけば良かったとAさんは後悔している。
Aさんはまだまだ働けるが、相続財産で余生を過ごすこととなった。
(※)「代償分割」とは、遺産の分割に当たって共同相続人などのうちの1人又は数人に相続財産を現物で取得させ、その現物を取得した人が他の共同相続人などに対して債務を負担するもの。
五十嵐弁護士によると"土地はあるけどキャッシュがない"という事例は多いという。
では、どうすればよかったのか?
一つの方法としては、生命保険の活用が考えられる。父親を被保険者、Aさんを受取人とする保険契約が締結されていれば、Aさんは父親の死後、生命保険金を取得することができる。生命保険金は、相続財産の対象にならないので、これを代償金に充てることによって、土地建物を売却せずに済んだ可能性がある。
ただし、生命保険であれば何でもいいというわけではない。専門家のアドバイスを聞くなどして、自分に合った最適なものを選んだほうがいい。ほかにも、父親が後々のことまで考えてしっかりと遺言を作成していたり、良好な家族関係が築かれていたりすれば、弟が実家を売却し、自分の持ち分を要求することもなかったかもしれない。
相続を円滑に行うためには、被相続人としっかり話をして、その相続財産を把握し、遺言を作成してもらうほか、他の相続人等と日ごろから円滑なコミュニケーションを取っておくことがとても大事だ。
取材・文/大田和孝純(ライフプランアドバイザー) 取材協力・監修/五十嵐丈博さん(弁護士/となりの法律事務所)
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