2016年11月18日
真田家で起きた相続問題

真田家で起きた相続問題

現在話題の人気大河ドラマ『真田丸』。実際のドラマでは、最後のクライマックス「大坂の陣」編の真っただ中だが、真田信繁こと幸村が大坂城に籠って、徳川家康率いる大軍を「真田丸」で迎え撃つ。さて、戦国武将の資産は一体いくらぐらいなのだろうか。

『真田丸』に見る歴史上の人物の遺言や相続は!

秀吉の亡き後豊臣家が弱体化していくなかで、豊臣秀頼が65万石、現在の貨幣価値で約650億円、頂上を目指し続ける徳川家康が400万石、現在の貨幣価値で約4000億円、それぞれ戦国の世にあって、多くの財産を残したといわれている。関ヶ原合戦後、徳川家が圧倒しているが、豊臣家は関ヶ原合戦の前までは、貿易で得た収益、各地の金山・銀山を直轄していたことによる金銀の独占により、大坂城の金蔵には莫大な金銀が収められていた。寺社の修復でかなり消費したが、それでもなお莫大な金銀を持っており、それを軍資金として、牢人を集めて徳川家との戦いに臨むことができたのだといえる。

ちなみに、この時代の財産は一石を1両、1両は10万円と換算する。一石は1000合で、青年男性が、年間食する米の量である。注:戦国、江戸初期は石高を元に財産を評価し、金銭、調度品、その他の収益などは財産として申告していなかった。そのため石高の評価より、実際の保有財産が多い武家が、戦での人材確保、武器の確保に長け、多くの戦を制したと言える。

今回は真田丸でなじみ深い戦国時代を戦い続け、93歳まで生きた真田幸村(信繁)の兄真田信之、そして真田家で起きた相続を見ていきたい。

その後の『真田丸』

幸村の兄真田信之は真田家を守るため、家康の命を受けて大坂城攻めに加わる。自分は幕府への人質のような形で江戸にとどまり、息子信吉と信政を派遣するのだ。弟幸村が豊臣方に馳せ参じたことで、真田家は幕府から疑われていた。表向き幕府つまり徳川方に属しているが、実は信之も豊臣家に心を寄せており、裏切るのではないかと。幕府からの疑惑を解くことができなければ、真田家は御取り潰しになってしまう。御家存続を賭けて、真田勢は大坂冬の陣、夏の陣で大損害を出しながら奮戦。徳川家への忠誠心を示すのだ。

真田家、上田から松代へ御国替えの動揺

元和元年(1615)5月8日、幸村が討死し、大坂の陣は終わった。豊臣家は滅亡し、徳川家の天下は揺るぎないものとなった。しかし、真田家には間もなく激震が走る。信之の心が休まることはなかった。

大坂の夏の陣から七年後にあたる元和8年(1622)、信之は上田城を取り上げられ、同じ信濃国の松代城を与えられ、住み慣れた上田から去ることで家中には動揺が走り、真田家を去る家臣も続出した。しかし、幕府の命に背くことはできない。信之は家臣を連れて松代に移った。ここに、明治維新まで続く松代藩主真田家の歴史が始まったのだ。信之は五十代後半となり、還暦に近づこうとしていた。

真田信之、真田家を二つに分割する先見の明

真田家は13万石の大名だったが、所領は信濃と上野国にまたがっていた。そのため、信之は長男信吉に上野国沼田城3万石、次男信政には松代城10万石を与える。松代藩が真田本家で、沼田藩が分家にあたる。信之としては自分の死後、息子たちの間で相続争いが起きないよう、目の黒いうちに真田家を二つに分割し、各々に相続させたのだ。

真田信之、真田家を二つに分割する先見の明

次男でありながら信政の方の扱いが良いのは一目瞭然だが、その理由は母親にあった。信政の母は徳川四天王本多忠勝の娘小松姫で、家康の養女として信之の正室となったからだ。真田家としては幕府に配慮して、家康の孫にあたる信政を優遇したのだ。 しかし、腹違いの兄である信吉としては面白くなかった。信之の晩年に起きる御家騒動の火種は、ここから始まったのだ。

息子に先立たれる真田信之の苦悩

寛永11年(1634)、沼田藩主の信吉が急死。時代は、家康の孫にあたる3代将軍家光の治世に入っていった。信吉の跡は、その長男熊之助が継いだが、4年後の寛永15年(1638)に熊之助は夭折してしまい、弟の信利が跡を継ぐことになる。子や孫に次々と先立たれた信之だったが、万治元年(1658)2月5日には松代藩主だった信政にまで先立たれた。信政は死に臨んで、子の幸道に家督を継がせる旨の遺言状を作成したが、このとき幸道わずか2歳に過ぎなかった。

一方、沼田藩主の信利は24歳。ここに、真田家は二つに割れる。信政は遺言で幸道を相続人に指名していたが、2歳の幼児に真田本家を継がせるのは無理であるとして、分家の信利を迎えようという動きが家中で起きたのだ。信利としては、父信吉が本来は真田本家を継いで当然という頭がある。父の悲願を達成できるチャンスが訪れたというわけだ。

真田家を守った信之の思い!ここに真田家相続が完成

このとき、信之は91歳という高齢だった。子の信吉と信政に先立たれた上、孫の信利と幸道の間で真田家の相続争いが起きるという難局に直面するのだ。さらに困ったことには、幕府からは信利に真田本家を継がせるよう圧力が掛けられていた。幕府としては相続争いに介入することで真田家内部にくさびを打ち込み、その弱体化を図ったのだろう。家中が混乱すれば、それを理由に真田家の御取り潰しも可能だからだ。真田家は存亡の危機に陥った。

信之は真田家分裂と幕府の介入を防ぐため、幸道の相続を幕府に強く求めるのだ。結局、幕府も信之が後見人となることで、これを認めることになる。万治元年(1658年)6月14日のことだ。隠居の身ながら藩政に復帰した信之だったが、幸道の相続が認められたことで安心したのか、同じ年の10月17日に死去している。信之はこの世を去ったが、幸道の藩主としての地位は揺ぎないものとなったのだ。

その後、松代藩主真田家では御家騒動が起きることはなかった。このときの信之の強いイニシアチブが、真田家を明治まで存続させた最大の理由なのだ。

監修・文/安藤 優一郎 歴史家 文学博士(早稲田大学)江戸をテーマとす執筆・講演活動を展開

東京理科大学生涯学習センター、JR東日本大人の休日・ジパング倶楽部「趣味の会」、NHK文化センターなど生涯学習講座の講師 写真/PIXTA
スーモ相続 編集ディレクター
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